今日から魔法の365日ー364

私たちが日常、どんなふうに子ども達に愛情を表しているかは

子ども達がやがて家庭を持ったときに、受け継がれます。

私たちの愛は、次の世代に伝わってゆくのです。

ードロシー・ロー・ノルト魔法の365日ー

 

皆さんにもお母さんの思い出が沢山あると思います。

子どもを生んで実家に帰ったとき、なくなりそうな目で孫を抱いてく
れた父と母。
あやす言葉、歌ってくれる子守唄、
あ~こうやって自分も育ててもらったんだなあ~と思った。
オムツ替えのとき、お前はこうだった・・と話してくれるのを聞きな
がら、自分の小さかったころのことを知る。
わが子を育てながら、母の苦労や頑張りそして喜びを感じる。
父の存在、祖父・祖母の存在、自分にかけてもらった愛情が暖かく
深いものであることに改めて感謝。
親の愛はありがたいものだと思う。
何の見返りも期待せず、子どもを思う。
たとえ子どもがいくつになったとしても・・。
わが子の子育てをしながら自分の育った道をまた繰り返す。
子育ては永遠のもの、いつの世にも子育てはあるのだから。
いつでも母と子はいる。

動物園の動物の中には、生まれてすぐにやってくるものもいる。
母のぬくもりを知らないものもいる。
こんな場合、親になっても子育ての出来ない子もいる。
生まれてすぐに乳をやらなければならないのに、子には見向きもしない。
放って置けば間違いなくその子は死んでしまう。
係りのおじさんたちが仕方なく、哺乳瓶でミルクを与える。
乳だけが必要なのではない。
抱かれること、遊びながら生きていくすべを教えてもらわなくてはそ
の動物としての本能を引き出してやれない。
動物園では親の無い、群れから離れたその赤ちゃんに大きな画面で
仲間の生活を見せながら育てることもするという。
親に育ててもらえない場合、子どもをうまく育てるには親以上に愛情
をかけ、生き方さえも教えていかなければならない。
親と一緒であればなんでもないことが、親から離れていることでそれ
は大変なことなのだ。
そして妊娠したときに子育てをしている仲間を見せ、乳の与え方を知
らせる。してもらっていないのだから、またその子も出来なくなって
しまっている。
親の代わりをすることは他人には出来ないのだ。
それでも、そんな子どもがいる場合やってやらなければ生きていけない。

動物園の動物ばかりではない、人だとて同じこと。
本来親がするべきことであったことを、今はお金を払えばなんでもし
てもらえる。
忙しさの中で便利さを買う。
便利さの中で失われるものは無いのだろうかといつも思う。
歯車の中で生きていくには捨てなくてはならないものがあるのだろうか。
それをさせているこの社会に未来はあるのか。
熱が出て家でゆっくりと静養させなければならない子どもを、座薬を
使って熱を下げ、保育園につれてきて、薬が切れればまた熱が上がる。
この繰り返しを冬中繰り返す子もいる。だるい、かったるい、辛い時
にその苦しみを和らげてやるのは母ではない。
親が働いている間、園で過ごす子ども達、集団生活。
学校感覚で通わせることが当たり前になっているが、親が家で休んで
いるときも子どもは保育園で過ごす。ただでさえ、今の子育てに親子
で過ごす時間が少ないのに。
親子で過ごすことにどんな大きな意味を持つのかそれを言う人は少な
くなった。
お金を払った人の権利だけを受け入れる。
寝るまでに家で過ごす平均時間(寝ている時間を除いて)2時間から
4時間。その中に食事、入浴、そしてそれ以外の時間は親は食事の支度。
本当に日々親子のかかわりを持つのがどんなに意図的に行わなければ
もてないか。
せめて熱のあるときはそばにいて欲しい。
せめてお休みの日は一緒に過ごして欲しい。
なんでもないまったりとした時間を一緒に過ごして欲しい。
親を求めているときは、子どもは言葉でうまく表せない。
子どもがどんな思いをしているか、その時気付いてやれない。
子どもはその鬱憤を園で出している。
むしゃくしゃすれば友達にあたる。
面白くなければその場を壊すほどの悪態をついたり、騒ぎ立てて引っ
掻き回す。
それの延長線に小学校の学級崩壊がある。
私たちは保育内容を考える。
全ての子どもが満足して楽しく過ごせるような物にしてあげなくては
ならない。
しかし、それでは満たされないものがある。
抱っこにおんぶ、どんなにくっついてあげても親に勝ることは出来ない。
親よりも私たちのほうに喜んで飛びついてきたり帰りたがらない子がいる。
先生のほうが好きなのね・・・本当は違う。
求めていることが求められるから好きなだけ。
私たちはただの変わりよ。
本当に求めたいのは、私たちにではない。

子どもに手が焼ける時期がある。
叱ったりなだめたり、言い聞かせる。
それが出来ない人もいる。
この時期に手をかけ、苦労しないでいつやるのか。
子どもが思春期になったときに、それまでやってこなかった人が子ども
と向き合えるのか。
親の言葉に子どもは耳を傾けるのか。
一緒にすごし良いことも楽しいことも、辛いことも悲しいことも、一
緒に味わって過ごした中で本当の親子になれる。

今、そのかかわりをお金で代行してもらえる。
離乳食、オムツをはずすこと、洋服を着たり脱いだり、靴を履いたり
脱いだり、園でやってもらえてよかった・・そんな声が聞こえてきます。
それでいいのですか?
子どもが友達に苛められる、友達を苛める、非行に走った、不登校に
なった、子どもはいろんなことにつまずきますよ、
それを子どもと共に立ち向かっていくのは並の苦労ではない。
小さいときに身につけなければならないことを教えることなんか、
それの比ではない。
それに耐えられますか?
そのときはお金では何も買えないのですよ。
そのときはもう子どもはお金じゃないと言っています。
親だ親だ、親が出て来いと叫んでいます。
こんなことを正直に言う保育士や先生は少ないでしょう。
「先生が楽をしたいだけでしょう」
私は、将来を案じます。
保育園や幼稚園時代はその先生のせい。
学校に行けば学校の先生のせい。
責任を負わせられた人はたった1年や3年か6年しか見てやれない。
でもずっと付き合っていくのは親しかいない。それを忘れてはいけない。
いつか自分にぶつけられる。
そんな思いをされないように、今としっかり向き合いましょう。
子どもは育てたように育っています。
その時その時全て出しています。
大きく出なくてもその影はもう見えています。
今をしっかりと見ていれば怖がることは何も無い。
子どもは親を信じていますから。
子どもは親が大好きなんだから。
大好き・・その気持ちをしっかりと受け取ってあげてください。
子育て、それは永遠につながっている。

母から私へ、私から子へ、そして子から孫へ、孫からひ孫へ、
私のしたことが次の代へ受け継がれていく。
ビデオを見せなくても子育て出来る子どもに育てたいものです。

厳しい言葉になってしまいました。
これは心にあってもなかなかいえない言葉です。
でも、30年の保育士生活をしながら今一番気になっている大きなこと
なのです。
だからちょっと此処で言わせてもらいました。

横浜市認定保育室 矢向つぼみ保育園
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